新型コロナウイルスの感染が拡大する中で考えたくもありませんが、大地震はいつ起きてもおかしくありません。南海トラフ巨大地震もその1つです。しかし、1年前から始まった「事前避難」の計画づくりは多くの市町村で遅れていることがわかりました。そこにはウイルス対策と共通する課題も…。こんな時ですが、あなたや家族の命を守るため、少しだけ地震や津波のこと考えてみませんか。
(南海トラフ地震取材班)

「事前避難」って何?

皆さんは南海トラフで起きるのは1回の巨大地震だとイメージしているのではないでしょうか。よく目にするのは、東海から九州の東にかけての広い震源域(下の地図)。
この震源域全体が一気にずれ動いた場合にはマグニチュード9.1という超巨大地震になるとされている。
ただ、これまでの研究では、想定震源域全体が一気にずれ動いた地震の証拠は見つかっていません。詳しくわかっているのは、まず最初に震源域の半分程度がずれ動いてマグニチュード8クラスの巨大地震が起きた後、残り半分の震源域が動いて、再び巨大地震が起きる…というパターンです。
このため国は、震源域の半分程度がずれ動いてマグニチュード8以上の地震が起きた場合に「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)」を発表し、後から発生する地震に警戒を呼びかける仕組みを導入した。

沿岸では数分で津波の第1波が来るところもあり、後発地震が起きてからでは津波から逃げ切れない地域があります。こうした地域に住む人には、後発地震が起きる前に「事前避難」してもらおうというのです。避難の期間は1週間です。

「どこに避難するの?」「学校や仕事はどうするの?」そう思いますよね。

「事前避難」を行うには、各自治体で新しい防災計画が必要になります。国は1年前に自治体に計画を作るよう求め、期限は令和2年3月末をめどとした。

しかし、アンケート調査を行った結果、約半分の自治体が期限に「間に合わない」と答えたのです。

期限に間に合わない!

三重県南伊勢町
三重県南部の尾鷲支局に勤務する私(中尾)は、「間に合わない」と回答した自治体の1つ南伊勢町に取材に向かいました。人口約1万2000、入り組んだリアス海岸が特徴の町です。その海岸線は約250キロ!実に名古屋ー東京間の直線距離に匹敵する長さです。

「気の遠くなるような作業です」。

そう話すのは避難計画づくりにあたる町の職員の濱地智視さん。担当は濱地さんと、もう1人だけ。たった2人で津波被害のリスクがある合計33地区の計画づくりを進めてきた。

協議する濱地さんたち
例えば、町役場があり1300人以上が暮らす五ヶ所浦地区。海岸から山沿いに至るまで住民の生活エリアが広がっています。事前避難の範囲を広く設定すると経済活動などへの影響が大きくなるため、本当に必要な範囲に絞り込みたいところです。

一方、町の西端にある別の地区は、住民の高齢化率が90%。こちらはあらかじめ全員に逃げておいてもらいたい地域。このように津波の到達時間や地形、避難施設の整備状況や住民の年齢構成など、多くの条件を踏まえたうえで計画を作るのには時間がかかってしまいる。

南伊勢町防災安全課 濱地智視係長
「きめ細かい事前避難の地域の設定はとても難しい。机上で話しているだけではだめで、現場をすべて見てから決めなければならず作業は膨大です。気の遠くなるような作業です」
計画策定期限に間に合わせるため、とりあえず形だけの計画を作ることはできるのかもしれません。

ただ、濱地さんは「それぞれの地域の事情を丁寧に拾い上げて、本当に住民の命が守れるような計画にしたい」と話してくれた。

今回NHKは、南海トラフ巨大地震の津波のリスクが高い「津波避難対策特別強化地域」に指定されている関東から九州にかけての139自治体に令和2年2月にアンケート調査を実施、130自治体から回答を得ました。
その結果、約半数の64自治体が計画作りの期限に「間に合わない」と答えました。最も大きな理由として「事前避難対象地域の設定に時間がかかっている」と答えた自治体がおよそ19%と最も多くなりました。(「その他」除く。文末に詳細

「避難所」が足りない!

取材を進めると、もう1つ南伊勢町が直面している課題がありました。住民が1週間生活できる避難所の確保です。33地区のうち7割は近くに事前避難可能な施設がなく、遠くの別の地区にある避難所まで行かなければなりません。

例えば河内地区では避難所まで約5キロもあります。次の地震が本当に起きるかわからないうちに、これほど遠い避難所に行って1週間生活する人はどれくらいいるだろうか…。住民からは不安の声も聞かれた。

河内地区自主防災会長 山本豊さん
「避難所まで徒歩で1時間半ほどかかり、高齢者が歩いて避難するのは困難です。今は、集落に150人くらい暮らしていますが、皆が本当にその避難所での生活ができるのでしょうか。「行かない」という人が出てきたりしないのか。事前避難を徹底するのは難しいと思います」
アンケートでも「1週間程度の避難が可能な施設の確保」を課題として挙げた自治体が、全体の63%の82自治体に上りました。

「既存の避難所だけで収容は難しく、新たな避難所の確保が必要」(静岡県の自治体)といった声もあり、事前避難先をどう確保するかは多くの自治体が抱える共通の課題となっている。

学校や会社はどうなる?

避難所が確保できたとしても、次なる課題が出てきます。学校や企業などとの調整です。南伊勢町の船越地区では、高台の中学校を避難所の候補として考えています。体育館や教室を活用すれば住民を収容するのに十分なスペースがありますが、そのためには学校を休校にしなければなりません。
南勢中学校 後藤武彦校長(※令和2年 3月末現在)
「子どもたちには学校で落ち着いて学んでほしい気持ちはある。本当は授業と避難を並行してできればよいが、休校もやむを得ないのかな…という気持ちもあります」
掛川市役所
同じく南海トラフ地震への備えを進める静岡県内の自治体からは「企業への対応に悩んでいる」という回答もありました。太平洋に面した人口11万余りの掛川市。事前避難の対象となる地域にも多くの企業があります。

ただ、事業を止めた場合に出る損失などをどう補償するか…といった問題も絡んでくるため、企業側と調整しながら事前避難の範囲を設定したい考えです。

掛川市防災担当者
「事業所が1週間操業できなければ移転問題につながりかねず、自治体にも深刻な問題となる。国が補償してくれるなら…」
アンケートでは全体の64%にあたる83自治体が「企業や学校などの対応との整合性」を課題にあげました。国はガイドラインの中で、全体としては社会活動をできるだけ維持するため企業はなるべく事業を続けることが望ましいとしたうえで、事前避難対象地域内では、明らかに生命に危険が及ぶ活動は避けるとしています。どこで線を引けばいいのか?自治体には戸惑いもあります。
三重県の自治体
「学校や企業が普通に活動している中、自治体が避難を呼びかけても、避難の重みが全く伝わらない」

新型コロナウイルス対策と共通点も

リスクを避けるために学校や企業などの社会活動をどこまで制限するのかという問題は、新型コロナウイルス対策とも共通しているように思えます。南海トラフ地震の防災対策に詳しい専門家に聞いてみると…。
名古屋大学 福和伸夫教授
「事前避難のために学校をどの程度休校にするのか、子どもを預けて働く親はどうするのかといった、新型コロナウイルスをめぐって今まさに社会が直面していることと同じような課題に向き合わなければなりません。リスクを回避するために厳しい対応をとると社会機能が落ちる。一方で、ある程度厳しい対応をとらないと命が守れないというジレンマがあります。市町村だけでは解決が難しく、国や県、産業界や住民が何度もキャッチボールをしながら、少しずつ計画を前に進めていく必要があります」
市町村だけでは解決が難しい課題が山積する中、県が計画作りを後押ししようという動きも出ています。静岡県は、令和2年2月に独自のガイドラインを作成し、津波避難施設の整備状況や避難訓練の実施率といった地域の事情を踏まえた、より具体的な考え方を示しました。隣接する自治体で対応が別れてしまい住民が混乱するのを防ぐねらいもあります。こうした県独自のガイドラインは愛知県や高知県、愛媛県など各地で作成が進んでいる。

私たちは何ができる

一方、私たち住民一人一人の意識が重要であることも忘れてはいけません。今回のアンケートで、計画に実効性を持たせるためには「住民への周知・理解の促進」が必要だとした自治体が90%以上にのぼりました。取材をしていても自治体の担当者から「臨時情報や事前避難について住民が知らないことが最も大きな課題だ」という声がたびたび聞かれた。

静岡県が去年実施した県民意識調査では「臨時情報を知っている」と答えた人は15%にとどまり、事前避難するかという問いに「しない」と答えた人は46.6%に上るなど、私たちの準備もまだまだです。

新型コロナウイルスで大変な時期ですが、大地震は社会の状況にかかわらずいつ襲ってきてもおかしくありません。住宅の耐震改修や家具の固定などできる備えがあります。そして実際に大地震が起きたらどう行動すればいいのか。自分や大切な人の命を守るために、知っておくこと、考えておくことが重要だと感じます。それに役立つ情報を伝えていく努力を私たちも続けていきます。

(取材班)
社会部・藤島新也
津局・中尾貴舟
社会部・中村雄一郎
社会部・老久保勇太